若坊守
坊守は住職の妻。若坊守(わかぼうもり)は若院(じゃくいん)の妻。若院は次期住職。
何だか色んな名前があるもんだ。
お寺にお嫁に行くってだけで不安がいっぱいなのに、知らない言葉はたくさん出てきて、今まで生きていた世界とは違う世界に来たような感覚。
28年前私がお寺に嫁として来た時の不安と解消法みたいな事を書いてみようか。
これからの若坊守さんの気持ちが少しでも楽になったらいいな。
お寺にお嫁に行くことに抵抗がなくなったらいいな。
不安
不安は山ほどあった。
核家族で育ったから自宅に仏壇がなかった。
祖父は神社の役員をしていたから、祖父母宅に行ったら一緒に神社に行った記憶はある。
お墓参りはしていたが、その時はお墓だけでお寺の中には入ってない。
まあ、だから私の人生の中で「お寺」ってところはほとんど縁のないところだった。
なんなら、私の卒業した幼稚園はキリスト教。
お遊戯はマリア様・・・。
お経
お寺とは無縁の生活をしていた私が、お寺にお嫁に行くことになり1番不安だったのはお経を覚えること。
父は地方公務員で転勤族だったこともあり実家の父母もお経を読めなかった。
旦那に教えて貰えばよかったんだろうけど、2人で会ってる時にお経を読むって何だか・・・。
嫁に行ってからでいいか、と思い結婚式の時はまだ全く覚えてなかった。
仏前結婚式の中でお経がもちろんあった。
お経の意味もわからず手を合わせていた。
覚え方
同居で慣れない生活の中でゆっくりする時間なんてなかなかなかった。
勤めていたから1日があっという間。
でも結婚したら覚えようと思っていたから何とか時間を作らないと。
思いついたのは通勤時間の活用😆
お経の本ってバレないようにちょっといいブックカバーをつけた。
電車とバスでの通勤。
電車で座っている時にお経の本を広げたら、前に立っている人からは丸見え。
ほんのすこーしだけ広げてみていた。
お経の本は「ふりがな」が書いてある。
ただただ歌のように覚えた。
と言っても完璧にはすぐ覚えられなかった😅
幼稚園での教え方
1人で完璧にお経を読めるようにはなってなかったが、出だしを聞いたらその続きは少し続けて言えるようにはなってた。
結婚してすぐ長男が生まれ、仏教系の幼稚園に入園した。
そこでは3歳児からお経を教えていた。
ま〜、びっくり。
幼稚園の先生がピアノで1音のみをお経のリズムに合わせて弾いていた。
お経の音程が変わるところは音を変えていた。
なるほどね〜。
園児は完全に歌のように覚えようとしていた。
さすが子供。
のみこみが早い。
保育参観は私のお経を覚える時間に変わった😅
得度
10歳になりお経を言えるようになっていたら得度(とくど)することができる。
将来お寺を継いでくれるかどうかなんてわからなかったから、自分の意思が出てくる前に長男を10歳ですぐ得度させた。
子供は3人いるが長男以外は女の子だった。
長男が得度するにあたり私も一緒にこの機会に得度することになった。
得度する前にお経を習うことができる。
何回か一緒に得度する人たちと習った。
地元でお経を合格しないと得度できない。
試験だ。
さすがに試験に落ちるわけにはいかない。
子供が受かって親が落ちるわけにもいかない。
そりゃ真剣になりましたよ😅
嫁に来て10年でやっとお経を覚えることを卒業。
まとめ
私がお経を覚えたのは嫁に来て10年後。
でもそれまでにお経を完全に覚えていないからといって困ることは1度もなかった。
若坊守にはなったけど僧侶になりに嫁に来たわけではないんだった。
お嫁さんが月参りをしている地域もあるらしいが、我が家は小さなお寺で嫁が月参りすることもない。
最初は大きな不安を抱いていたが、日々の生活の忙しさや子育てなど他の不安も出てきて、お経を覚えてないことが大きな不安ではなくなっていった。
そんなんものなのかも知れない。
多くの不安って振り返ってみれば思っていたより大したことがないのかも。
乗り越えたのだからそう思えるのか・・・。
でも一般家庭よりはお経を聞く機会が多くあるのだから自然と覚えることができるものだったんだ。
お経以外もそう。
色々な行事もあるが年月をかけて慣れていけばいいもの。
若いお嫁さんが楽しくお寺で過ごしてくれるのが1番いい。
もっと「お寺」が気軽に行ける場所になるよう、私達が今からでもしていけたらいいな。
「お寺」って人が集まる場所でコミュニケーションをとる場で悩みも話せる場。
昔からそういう場所だった。
知らない世界にしてはいけないよね。
たくさんの跡継ぎで困っているお寺があるが、こんないい場所ができれば絶えませんように。
コメント